先日、初めてボルダリングが楽しくない、と思った。
ゴールが取れそうで取れない、というのがボルダリングの課題で俄然燃えるポイントではある。またそういう課題を作るのがセッター*1の腕の見せ所なのだと思う。
ある時、数時間登った後でやってみた課題が、ゴールまであと1手前というところでタイムアップになった。だから次に行った時には、初めから取り組めばゴールを取れると思っていた。
そして実際、次にジムに行った時には、初めからその1つだけを打ち込んだ。大袈裟でなく30回以上は登ったと思う。その結果はと言えば、何度かゴールに触れはしたがゴールホールドを取ることは出来なかった。*2
思い返せば、途中で他の課題に目を向ければよかったのだ。気分転換をすればよかった。別に、その壁の課題が来週なくなるわけでなし*3、本当に何で私は、その日に登り切ろうとしたんだろう。その時、私の視野は5度になっていた(ギリギリで壁を登っている時と同じ狭さ)。
登り続けるうち、疲れてきて色んな箇所をぶつけ始め、ゴール前どころか半分くらいで落ちるようになってようやく私は「今日はこのくらいにしといたるわ」と捨て台詞を吐くに至った(心の中で)。
しかしそこから他の課題に目を向けようとしても、壁に貼り付き続けた代償として手はボロボロ、前腕はパンパン、背中は既に筋肉痛に見舞われ、手と脛には擦り傷とアザが出来ていた。
割と落ち込んだ。ボルダリングは小さな達成感を積み重ねられるスポーツのはずだったのに、私はそれを自ら潰していた。
明けて翌日、起きる時には身体中が軋み、椅子から立とうとすると脚と背中がガクガク、手も指も痛かった。筋肉痛に伴う頭痛にボーッとなりながら、私は驚いていた。なぜこんなに満身創痍になっているのか。遊びにこんなムキになっていいものか。というか私は、スポーツにこんなにも夢中になれたのか。
私の脳裏に、タモリの名言とされている言葉が浮かんだ。
「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ」
タモリがどういう媒体でどういう文脈で言ったのか、そもそも本当に言ったのかも定かでない。検索すると山ほど「タモリの名言」「深い」みたいな文言と共に紹介されている。
たぶん、ビジネスパーソンが聞けば「遊びを真剣に出来ない奴が仕事も真剣に出来るわけない」とかそういう意味に取られるのかもしれない。
しかし私がこの言葉から感じたのは、「遊びに真剣になっても良いんだな」ということだった。
記憶にある中での私の心身のキャパは常人のそれ以下で、特に約10年前に精神的に薄氷を踏み抜いてからは恐る恐る歩を進めていた*4。それが、知らないうちに自分にボルダリングに真剣になれるくらいの体力が備わっていたことに気が付いた。
Apple Watchによれば、30回以上登って叩き落とされたその日、私は約4時間のあいだに成人女性の基礎代謝量くらいのカロリーを消費していたらしい。
最近では、駅の階段で息切れということはまずない。二の腕も引き締まってきた。
とりあえずこれだけでも、ボルダリングという遊びに真剣になった甲斐があると言えるかもしれない。
と、綺麗に(?)〆ようとしたが、はちゃめちゃに悔しいのでまた登りに行く。
即落ち3コマ。(※画像は実際の課題のあるボルダリングジムとは異なります)
(追記:同年5月11日)
登れた。