人は何故落ちるのか?─登るためだ(奈落の底から)

 


www.youtube.com

ダークナイトライジング』という映画がある。
原題はThe Dark Knight Risesで、クリストファー・ノーランが撮ったDCコミックのヒーロー、バットマン3部作の3作目だ。

詳細は省くが、劇中で敵と闘って負け、大怪我をした主人公ブルース・ウェインが、深い深い穴の中で囚われの身になるシーンがある。
その穴の中には他にも無数の囚人がいて、光だけは降り注ぐが決して外には出られない。出る方法はただひとつ、穴の壁を登り切ること。その穴の中では、命綱を付けた囚人たちが時折その壁に挑み、失敗して大怪我をしたり死んだりする。

やがてブルースも回復して脱出を試みるが、失敗を重ね続ける。夢に、幼い頃に井戸の中に落ちたブルースを助け上げるため降りてきた父が出てきて、こう尋ねる。
「何故人は落ちるのか?(Why do we fall?)」
その問いに、幼いブルースは答えを持たない。

ブルースは、穴の底の長老のような盲目の男からある言葉をかけられ、不退転の決意で壁に挑む決意を抱く。いざ登ろうとすると、それまでも誰かが壁を登っている時に囚人たちが壁を声を揃え、聞き慣れない言語で鼓舞していたことに気付く。
ブルースが穴の底で彼の看病をしてくれた老人に、「彼らは何と言っている?」と尋ねると、彼はこう答える。

「登れ(Rise)」

タイトルにも使われているこの"Rise"には、単なる登る(Climb)以外の意味も込められていて、立ち上がる、とか、革命を起こす、なんていうのも考えられる。
しかし劇中の現実問題として、誰かが壁を登り切らなければ、他の誰も穴から出られない。なので字幕も「登れ」になっている。

++++

去年から今年の半ばにかけて、まさに穴の底に閉じ込められているような日々だった、と過去形にしたいが、まだ無理そうだ。

何度繰り返しただろうか。
「秋になれば…」「来年になったら…」「ワクチン接種率が上がれば…」

私の人生で、これほどフラグが立ちまくりの言葉を聞いた1年があっただろうか、いやない(反語)。
去年の秋はぬるっと過ぎ、さらっと年は越し、個人的には今夏にワクチン接種2回を終えた。そして年末だ。2021年、体感3か月だった。

その間、私は推理小説にハマった。が、推理小説のシリーズものには終わりが来る。というか、読むスピードは書くスピードの何百倍も速い。速すぎて、色んな著者の作品に手を出し、当たりを引くと喜んで、少しずつ読んだり、別の人文系の本と行ったり来たりして引き延ばし作戦を試みていたが、遅かれ早かれ読み終わってしまう。
また、シリーズものの1巻を読んでみたら予想以上に面白く、続刊を買ったはいいもののもったいなくて読めないというこじらせ*1も発生した。

余計なことを考えないように、と読み始めた推理小説だったが、これを読み終わったら読むものがないぞ、と壁にぶち当たった。

 

というわけで、壁の話をする。

世界が直面しているウィルス駆逐を阻む変異株の壁とか、はたまた時として人生に立ちはだかる抽象的な壁ではなく、物理的な人工の壁だ。

f:id:whooomeee:20211228020903j:image
こういう壁。(写真映えのため屋上の壁だけどメインは室内です)

早い話がここ1年半のあいだ、ボルダリングに没頭していた。

体育嫌いだった子供時代の自分が嘘のようだ。「皆で」「やりたくもない時間に」運動をするのは本当に苦痛だったが、自分の意志で始めた運動であるにしても、こんなに夢中になるとも思っていなかった。

ボルダリングは、自然の山をリードなどの必要最低限の道具を使い手で登るフリークライミングから派生した、背の低い岩を道具なしで登るスポーツ。私は100%屋内のボルダリングジムに行っているが、屋外の天然の岩(外岩と呼ぶ)を登る人も多い。

室内ボルダリングの基本的なルールだが、

  1. スタートからゴールに至るまで触っていいホールド群が決まっている(手足固定または足はどのホールドを踏んでも良い足自由がある)※このホールド群をルート、または課題と呼ぶ
  2. スタートの1つ/2つのホールドを両手で持ち、地面から足を離してスタート(足で踏むホールドも決まっている場合がある)
  3. ホールドと壁以外には触らず(また踏まずに)登り、ゴールのホールドに両手で触れて2〜3秒静止してゴールと認定

と、これだけ。何箇所かややこしい表現があることは否めないが、これは本当に単純なルールなのでやってみたら秒でわかる*2

ボルダリング自体は、始めたのは3年ほど前だった。テレビで何かを見た気がするが、はっきりとは思い出せない。とりあえず検索したら家の近くにボルダリングジムがあって、何となく始めた、というのが正直なところなのだが、この1年でその頻度と濃度が格段に上がった。

平たく言えば1回2時間/月2〜3回程度だったのが、1回約4時間/週2〜3回になった。完全に部活。何故部活化したかと言えば、自粛生活で身体が鈍ってきたと言う家人が、ボルダリングに本気を出してきたからだ。家人は凝り性である。何なら先に始めた私より早くボルダリングシューズを買った*3

家人と共に週2回ボルダリングに行くことがルーティン化して何が起きたかというと、上達してきた。そしてボルダリングジムに通うことが楽しくなって来た。
前は登れなかったものが登れた、というだけで得られる達成感が半端ない。

ボルダリングは力が要るスポーツと思われがちだ。そりゃ世界最高峰の選手の背筋とか半端ないけれども、体重と筋肉のバランスが重要&関節の柔軟性も必要なため、力が強いから有利と言い切れるものでもない。身長の高さが有利に働く課題は多いが、身体が小さいからこそするすると登れる課題もある。そういうトリッキーなところが好きだ。

世界最高レベルになると意味がわからないのは、どのスポーツでも同じだろう(五輪金メダリスト、ヤンヤ・ガンブレットのまとめ動画↓)。


www.youtube.com

また、ボルダリングを表現する時によく出るのが「全身を使ってやるチェス」というフレーズで、私はチェスをやらないのでよくわからないのだが、チェスだとすると駒を動かすのも駒自身も自分、というかなりのハードモードである*4
自分のレベルより上の課題に挑戦しようにも、スタートすら切れないことが多い。スタートが切れない原因はだいたいがフィジカルが足りないからか、持ち方が違うからかの2択。前者が原因であったとして、仮にスタートが切れたとしても、フィジカルが足りなければ次かそのまた次の手で詰むだろう。詰む≒落ちる*5

登るスポーツではあるが、登るより落ちる方が確実に多い。1回登り切るのに数十回落ちる時もある。もはや登るより落ちるスポーツと言ってもいい。下にはマットが敷いてあるので怪我は極力回避できるが、マットがあっても怪我をする人はいる*6。筋肉痛は基本装備で、関節は手首、指、肘の順番で痛くなり、擦り傷は絶えず、膝や脛には常に青痣がある(※個人差があります)。
それなのに、また登ろうとしている自分がいる。

で、何故冒頭に『ダークナイトライジング』を出したかというと。

私は今、ゴッサムシティに住んでいないし奈落の底に囚われてもいない。しかし改めてこの映画を観ると、奈落の底のブルースにどことなく共感を抱いてしまうのだ。世界が狭まり、息が詰まりそうな場所にいて、失敗しても何度も何度も壁に向かう。

ブルースの肩にはゴッサムシティの全市民の生命が懸かっているし、彼は穴の底から壁を越えるのに命を賭ける。
私の肩にはせいぜい昔のムチ打ちの後遺症くらいしかなく、落ちる時はマットの上でなるべく軟着陸を心がけるが、私はひとつでも上のホールドに触るために登る。あわよくばゴールを目指し、何度落ちても何度でも登る。ゴールを文字通り掴めた時の達成感は、何物にも代え難いからだ。

ボルダリングジムに行くと、皆一様に壁を見上げている。その様子も何となく、『ダークナイトライジング』のあの穴の底の人たちの姿に似ている。もちろん、私もその中のひとりなのだ。

 

 

*1:大事に積ん読中のシリーズものたちの1巻目。

*2:私でよければボルダリング付き合うしジムを紹介させて欲しい。

*3:ほぼ全てのボルダリングジムでは初心者向けにボルダリングシューズのレンタルサービスがある。

*4:ハリーポッターと賢者の石』に出て来たリアルチェス盤に近い?

*5:イコールでなくニアリーイコールなのは、ボルダリングジム内のルールでは壁の上の方から飛び降りることは推奨されておらず、必ず手近のホールドを伝って降りる「クライムダウン」が求められる。それでも、落ちる時は落ちる。

*6:Instagramボルダリングしている人を検索する習慣があるのだが、落ち方に失敗して骨折したと投稿している人を2度見つけたことがある。クライムダウンは大事です。