頭の中がとっ散らかった時のストレス対処法と、戦略的逃避の最終手段としての「だが、今日ではない」の使いどころ

遡ること約4年前、自分を鼓舞するために、「だが、今日ではない」と題した記事を書いた。

世界を覆い尽くしつつあったパンデミックと、それに伴う個人的事情に関して折り合いをつけるため、ここで諦めてたまるか、と己を鼓舞するための文だった。

あの時、世界にはこれ以上悪いことは起きないだろうと思っていたが、そんなことはなかった。
年末年始、身内も色々バタついた。
そして奇しくも、また春が巡ってくる。安定の心身共にガッタガタの季節が。

しかし現状、日常生活を送れる程度にある私は、日常生活を送らねばならない。「〜しなければならない」という表現は嫌いだが、どのみち人生は続く。

そもそも私の頭の中は、何もしていなくても、いや何もしていないからかもしれないが、常にひどくうるさい。身近な問題、世界的な懸念、未来への不安やらで始終ゴチャゴチャしている。あまりにうるさいので、去年からカウンセリングを受け始めた。

カウンセラーに言われたことをそのままここに書くことはしないが、聞いた話を参考に、私は自分の頭の中を机として考えることにした。脳内イメージの大きさは勉強机ほど。
その上に、隙間も見えないほど色んな考えが乗っている。むしろ、隙間が見えると怖くなって、不安要素を探してはまた埋めてしまおうとすらしてしまう。そのうちに机の上は雑多に溢れかえり、溢れて零れた考えはなぜか上からまた降ってきて机の上に乗る。

理想は、その机の上が真っさらになることだ。整理整頓なんてしゃらくさい。どうせろくなことが乗ってないから、全部ザーッと落としてしまいたい。
けれど机の上から無くそうとすればするほど、考えがゴチャゴチャしてきて、結局どうにもならない。どうやっても悩みは無くならない。

ああ、頭の中が喧しいな、どうにも収まらないな、と思ったらできるだけリラックスした体勢を取る。
目を閉じられるほど自分が安心できる環境だとなおいい。トイレの中とか、ベッドの中とか。で、5秒吸って10秒吐く。とりあえず今自分は自分の安心できる場所にいて、寒くもなければ暑くもなく、呼吸も出来ていることを確認する。自分の呼吸に集中する。
10分ほどもそうしていられれば理想だが、正直私は5分も無理だ。だから1分でもいい。30秒でも。

そうやって、一瞬でも頭の中の机から意識が離れたら、机の上のゴチャゴチャを一旦机の脇に全部寄せる。
片付け下手の子供が、教科書や漫画を片付けろと言われて苦しまぎれにやる、あの程度でいい。
とりあえず寄せる。上から降ってきたらそれも脇に寄せる。下から湧いてきたらそれも寄せる。

わずかでも机=頭の中に余白ができたら儲けものだ。

その余白は、ずっと保つことはできない。何もしないままだとせいぜい10秒がいいところだ。
だからそこに、他に何も考えなくていい作業を詰め込む。

読書でも、映画でも、配信ドラマのイッキ見でも、ゲームでもいい。刺繍でも、カリグラフィーでも、編み物でも、料理でも、お菓子作りでも、筋トレでも、絵を描くのでも、字を書くのでも、仏像を彫るのでも、何でもいい。
できれば、独りでできることを選ぶ。理想は、達成感を得られて、疲れすぎないものがよい。

私の場合、それが読書とボルダリングだ。
しかし、くれぐれも過集中には注意*1である。私は集中力にムラがある一方、一度集中するとなかなか抜け出せなくなる傾向がある。

過集中は、作業の種類にもよるが、目の疲れや肩こり、その他の弊害*2を生む場合がある。

それに、残念ながらこういう心の隙間を埋める作業にも限界は来る。本はいつか読み終わるし、ボルダリングは毎日行っていたら身体が保たない。

だから私は、心がどうしようもなく滅入る時には「だが、今日ではない」と自分に言い聞かせることにしている。戦略的Not Todayだ。

過去の失敗を思い出し、もう人と会うまいなどと決意しそうになる時がある。

人と比べてあれもできない、これもできない、こんなことすらできなかった、と怒涛のように自己肯定感を自ら地に落とそうとする日がある。

この先、生きてて何かいいことあんのかなぁと、ふと頭を過ぎる夜がある。

しかしそういう、暗く濁った心を全て、「だが、今日ではない」と明日に追いやることにする。

もっと切羽詰まった時には、「けど今じゃない」にする。Todayすらもどかしい時の、戦略的Not Nowである。

頭を空っぽにしてスイカゲームをひと頻りやり、メロンどころかパインしかできねーじゃん、と不貞腐れながら寝る。

あとは明日考えればいい。明日できることは今日やらない。しかし明日やるとも言っていない。

明日の私がきっと、「昨日の私が言ったこと? 今日の私とは担当者が違うのでちょっとわからないですね…」とサービス精神ゼロの対応をすることだろう。それでいい。

そうやって日々をどうにか過ごすための、これは戦略的逃避としての「だが、今日ではない」の使い方である。

 

*1: ここ3年で読んだ本を数えた。

*2: その他の弊害、指を怪我した時の話。