世界が終わるわけじゃないから今日を生き抜く

※この投稿は、令和4年7月8日に起きた元首相銃撃事件にショックを受けた筆者が、自分の心の整理のために書くものです。私は詳細を追いかけてはいませんし、事件についての情報はほとんど記していません。情報や考察よりも精神の均衡を優先させた結果です。ご了承下さい。

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帰宅してテレビを付け、Fire TVに遷移するまでの間の数秒で、報道番組と呼ぶには烏滸がましいワイドショーが、路上に蹲るスーツの人とそれに駆け寄る複数の人の映像を流していた。右上には視聴者提供の文字。
スマートフォンは文明の利器だが、武器にもなり得る。人の命が消えゆく瞬間の映像など、誰が見たいのだろう。見たい人が多いのだろうか、本当に? 暗澹たる気持ちになった。

慌てて祈るようにテレ東に変えたら、いつも通りの番組が流れていた。テレ東に救われている。しかし今は、この日本で現在進行形で進むあらゆる事象を目にするのが辛い。配信サービスに逃げた。

英語に、
It's not the end of the world.
という慣用句がある。
意味は、「そんな深刻になることないよ」とか「悲観しなくても大丈夫」とか、訳す時に色々バリエーションがあるが、割とそのまま「世界が終わるわけじゃないし」と訳しても良い。
これは、落ち込んでいる人を励ましたりする時に使う表現で、最悪の出来事(the end of the world)ではないと言って聞かせるためのものだ。

幼い頃、世界が滅びへ向かっているような気がして怖かった。
湾岸戦争が始まった頃、空からミサイルが降ってくる気がした。中東や東欧での紛争のニュースは絶えることがない。大人になって9.11が起きた。アメリカがアフガニスタンを攻撃した。さまざまな国家が少しずつ右傾化し、未曾有のCovid-19禍が世界中を襲い、ロシアがウクライナに侵攻中で、今現在が私の記憶にある限り世界情勢が最も不透明で、そして今日、日本の元首相が白昼に銃撃された。
ちなみに、ここに至ってなお、世界は終わっていない。

「世界が終わるわけじゃないし(It's not the end of the world.)」
は励ましの言葉だと書いた。
しかし最も考慮すべきは、何度世界の終わりだと思ってもまだ世界が続いているということだ。

世界より人の一生の方が遥かに短く、だから人は、歪み、ねじれ、裏返ったままの世界の綻びをそれでも取り繕って生きていくしかない。
その取り繕い方は千差万別だ。情報を集め分析するか、情報を遮断するか、SNSに不安を書き込むか、SNSから一旦離れるか、身近な人と話すか、もしくは何も話さないか。
それは完全な個人の自由で、だからどうか、今回のことにどう向き合うかは、周りの人(SNS含め)とは比べないで、自分を守って欲しい。これは私が自分にも言い聞かせていることだ。

今日で世界が終わるわけじゃない。明日からも世界は続くのだ。
だからとにかく、今日を生き抜こう。