出来れば昨日、この記事を書ければよかったと思う。
ただ、とても冷静ではいられなかった。
このセンセーショナルな事件がいつか歴史の1行となって語られる頃、私という人間がどのような最期を迎えるにしろ、人類史という燃えたぎる歯車を回す石炭のひとかけらとなって、砂漠の砂粒より頼りなく消え去っていると思うと空恐ろしかった。
揺れた足もとをどうにか抑えようと書き殴った。
そもそもこの事件は、参議院選挙の応援演説中に起きたものだ。有権者たちに、心を揺らすなと言う方がおかしい。
けれど、ヒステリックに騒ぐマスコミやSNSに流れる玉石混交の情報に揉まれ、憤慨や同情によって、この国の行く先を左右する選挙を見る目を曇らせることのないようにと自戒も込めてひたすら願っている。
いかなる暴力も許されない、けれど、と続く文章が好きではない。けれどそうせざるを得なかった、と続くのが怖い。そんな文章は暴力を否定していない。
暴力は民主主義を叩き潰す。だから「けれど」は要らない。
民主主義は確かに欠陥だらけだ。権力が偏ることもあるし、改革は起こしづらいし、国民の選択は間違うこともある。しかし民主主義は、人類がその歴史を暴力と独裁と虐殺で血によって塗り固めた末にどうにか辿り着いた、ギリギリの妥協点なのだ。
第二世界大戦時、イギリスの首相だったウィンストン・チャーチルが言ったという言葉が、民主主義の何たるかを端的に表していると思う。
"It has been said that democracy is the worst form of government except all the others that have been tried."
民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば
(毎日新聞のサイトより引用)
民主主義は完璧には程遠いが、他のよりはわずかにマシと言われている、という話だ。
しかし今の私たちはこれが妥当だと信じるしかない。そうしなければ、いとも簡単に民主主義は崩壊するだろう。歴史を振り返れば、そして世界を見渡せばわかる。
いかなる暴力も許されない。一瞬の激情で誰かを叩き潰すことを受け入れてはいけない。その激情に駆られたまま、この先の未来を危険に晒してはいけない。
だから選挙に行こう。