箱、匣、筥、ハコ(或いは異界の正体を覗く)

魍魎の匣』という小説がある。

全編、ハコに取り憑かれたような小説だ。この小説を読むと、箱について冷静ではいられなくなってしまう。

これはそういう読者のひとりである私が、大量の箱を見て取り乱した話だ。
しかしその前に、かつて箱が入っていた箱の話をしたい。
(※以下、プライバシー保護のため一部事実と異なります)

それは運河のそばに建つハコだった

数年前、母方の祖父が亡くなった。
私の両親は、父が三男で、母は下に弟がいたので、我が家は初めから祖父母と別居であった。
私は父母どちらの実家から見ても外孫というやつで、だから祖父母の家は異世界だった。

地元はそこそこの田舎だ*1。田舎ということは、家族同士の結びつきが強い。
お盆やお祭り、正月には母方の実家で母方の親戚が集まり、大人たちは祖父を上座に置いて酒盛りをしたものだった。

母方の実家は、小さな運河のような川のそばに集まって建つ長屋の中にあった。

この家がものすごく細長い。家の幅は多分二間ほどしかない。玄関の間口は人ひとりがやっと通れるくらいで、土間は縦長の一畳ほどのスペースで、すぐ左には襖で仕切られた小部屋、左斜め前にはガラス戸で仕切られた仏間兼居間がある。
左の小部屋の襖を開ければすぐ玄関の土間、という作りは、風通しの良さを見越したものだったのだろうか。ともあれ土間から居間兼仏間に上がるには、玄関右奥の上がり框①から上がって廊下側の襖を開けるというルート、玄関から居間にだけ続く上がり框②を通ってガラス戸を開けるルートが存在した。

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ちなみに上がり框①は柱により分断されており、更に前述した玄関横の小部屋の襖とも分断されている。来訪者が増えてくると脱いだ靴が上がり框①の前に溜まって、上がり框②か玄関横のからしか人が出入りできなくなる。
小部屋にいながらトイレに行きたい、などという場合は、から上がり框②を中継し柱を起点に居間の外側の壁を伝い、上がり框①に飛び移って廊下へ抜ける、という離れ技をやらねばならなかった。

この上がり框が混在する空間は実際一畳ほどのサイズ感しかないのである。ごく普通の一軒家に住む私には、母方の実家は玄関からして既に非日常だった。

母方の実家には年の近い従姉弟が二人おり、幼い頃には泊まったこともあった*2
夕飯の後、家の裏の川沿いでスイカを食べ、そこで手持ち花火をした。従姉弟とどれだけ遊んでも帰らなくていい、その特別感も好きだった。
割と牧歌的な子供時代を過ごしたものだ。
あの夏の日が永遠に続けばいいと思わないし、また戻りたいとも思わないのだが、楽しい記憶だと言える。

そんな祖父母宅を訪れなくなって、どれくらい経ったのかよくわからない。私や姉、従姉弟たちの世代が成長するにつれ、祖父母宅で宴会をするには手狭になったのは明白だ。いつの頃からか、誰の発案かも謎だが、正月の集まりは毎回温泉施設で行うようになった。
そうして私は、あの細長い家に行かなくなった。

板張りの細長い廊下は昼間でも薄暗く、二、三歩歩けば右側には玄関の方向に向かって階段があった。細い廊下を更に細くしていたその階段の下に置かれた黒電話が、照明の乏しい暗闇の中で喧しく鳴り響いていたのを鮮明に思い出せる。冬の寒さと言ったら、ほぼ屋外と変わらないように思えた。
左手には箱庭のような中庭があり、その奥には小さな洗面所。更に左手奥には二畳あるかないかの台所。この台所の壁には、蔵の入口があった。蔵と言うと、母家の他に建つアレを思い浮かべると思うが、この蔵は家の中にある。漆喰の扉が付いていたから、蔵が先に建っていたのかもしれないが、とにかく台所のひとつの壁全体を蔵が占めていた。使い方としてはパントリー的な感じだったと思うが、灯りが豆電球のようなものしかなく、子供は決して入れてもらえなかった。

台所を出て更に奥にも廊下は続く。この家は、廊下の左側にしか居住空間がないのだが、ここで突然、左側にも何もなくなる。とにかくそこから廊下だけが二,三メートル伸び、出し抜けに左手に階段が現れ、どん詰まりに六畳弱のダイニングがある。
ダイニングと書いたが、左手に食卓、右手にトイレ、奥に浴室、そして家の裏口という究極に不思議な間取りだ。普通にしていても食卓からトイレの扉が見える。だから、食卓とトイレの間に、階段を利用して目隠しの布が掛かっていた。
この階段も謎だ。初めの階段は上階の居住空間に続くが、二つめの階段の上は居住空間ではなく、物置きと洗濯物を干す場所だと言う話だった。ここも子供の時分は入れてもらえず、成長した後となっては逆に入る理由もなくなっていた。

ごく幼い頃、禁じられたその場所の下で耳を澄ませると何かの足音が聴こえてきたことがある。当時テレビでよく放送された『古い家の屋根裏で物音がすると思って見に行ったら河童のミイラが発見!』という番組の影響で、完全に「ばあちゃんちの屋根裏(か台所の蔵)には河童がいる」と考えていた時期があった。

今こうして書いていると、祖父母の記憶もだが、私は祖父母宅に相当な思い入れがあったのかもしれない。

『田舎のばあちゃんち』と言うと、後々観た映画などの影響で、田んぼの中にあったり、寺のように広かったり、縁側が大きかったりというイメージが先に浮かんでしまう。そこに夏休みが加われば、青い空、入道雲、虫捕りに魚釣り、etcと続くのだろうが、祖父母の家にはそのどれもなかった。
代わりに、不思議な細い間取り、決して入れてもらえなかった部屋、家の裏口を出ると細い運河のような川があり、親戚がいつも楽しそうに集まり、従姉弟たちと遊び、いつも遊び足りることがなく帰っていく、それが私の子供時代の『ばあちゃんち』だった。

 

ハコの主が残したハコ

不思議に細長い家に住む祖父が亡くなった次のお盆に、私は帰省のついでに母と共に祖母を訪ねた。聞けば、祖父の持ち物から探し出したいものがあると言う。

ひとつは、孫(私にとっては従弟)から贈られた籐椅子。もうひとつは祖父が生前病院を受診した時の領収証。領収証は失くしやすいものだとして、籐椅子まで?と首を傾げたが、祖父はどうやら物を溜め込む性質だったようで、言われてみれば前述の玄関横の小さな部屋はいつも半分ほどしか人の座るスペースがなかった。
祖父が亡くなった後、叔父たちがその部屋にあるものすべてを、数軒隣の祖母の姉(私にとっては大伯母。こちらも故人である)の家にとりあえず移したらしい。

大伯母の家は、家主が亡くなって随分経ち、また家の管理も手が回っていないので電気が通っていない。故に、昼間だというのに薄暗い。人の手が入らなくなって久しいから、足元の畳は踏むたびに沈み込む。

ほぼ廃墟ではあるが、祖父母宅の数倍広い。その居間を埋め尽くさんばかりの祖父の荷物を見た時には大層驚いた。何なら六畳の数倍のスペースを取っている。

私は母と共に、探し物を始めた。薄暗いのでiPhoneのライトで照らしながら。途中、埃が凄かったので、祖父の荷物の中にあった不織布マスクを着けた。懐中電灯も探したが見つからなかった。

私は全く知らなかったのだが、祖父はどうやら、大事なものをとことん箱にしまう人だったようだ。母と私が目にした荷物の大半は箱だった。しかもパッと見では中身のわからない段ボールや無地の箱だ。小さな箱、大きな箱、もっと大きな箱。
私たちはひとつひとつ開けて見るしかなかった。とにかく箱を開けて中身を検めた。
ハサミだけが五,六個も入った菓子箱があった。カミソリだけが何本も入った箱も。爪切りだけがたくさん入った箱も。ありとあらゆる文房具や日用品が種類別に箱に入っていた。前述したマスクも箱に入っていた。箱入りの養命酒が四本、更に大きな箱に入っていたりもした。

恐らく祖父は、何かが足りない、という状況をとても嫌っていたのだ。だから気が付くと買い足して箱に入れた。ここにはそういう箱が無数にあった。

ともあれ目的は探し物である。籐椅子と領収証。箱に圧倒されて忘れそうになった。領収証は早々に諦めていたように思う。このままでは全ての箱を開ける羽目になる。籐椅子だ。籐椅子に集中するんだ。そんな大きな物、そうそう失くすまい、と思って大きな箱を開けるが空振りが続く。
次々に箱を開けていくうち、箱の中にまた箱があり、開けると何も入っていない、という冗談みたいなことが何度も起きた。箱の中に何かが入っていると思って開けるのだが、あるのは空っぽの箱なのだ。空虚。まさに虚(うつろ)。

冒頭に書いた通り、私は『魍魎の匣』を読破済みである。脳裏に箱が、匣が、筥が過ぎる。祖父の遺した大量の箱の中に、異界が広がっていそうな気さえした。

 

ハコの外のハコとハコの中のハコ

結局探し物は見つからなかった。一時間ほどは探していたと思うが、領収証はもちろん、籐椅子すら見つからなかった。祖母にそのことを告げると、領収証は仕方ないね、という話であったが、籐椅子はもしかしたら屋根裏にあるかもしれない、と言った。

そう、子供の頃は入れてもらえなかった屋根裏である。私は生まれて初めて、幼かった頃の自分の好奇心を満たす場所に足を踏み入れる機会を得たのである。屋根裏と言うと、薄暗く湿った窮屈なイメージが先行する。前述の河童のミイラ発見の現場になっていたのはまさにそういった屋根裏だった。

細長い廊下を行き、母に続いて階段を登って私が見たのはしかし、この家で一番広い空間だった。大伯母宅より明るかった。明かり取りの窓があったのか、電灯があったのか、その両方だったのかはよく覚えていない。とにかくそこに、河童のミイラはなかった*3

この屋根裏は、季節ものの家電を置いておく場所のようで、扇風機やストーブが買った当時の箱にそのまま入っていた。また、座布団がうずたかく積み上がっており、更にひと抱えほどもある大きな木の箱が何個もあった。中に入っていたのも座布団であった。普通の座布団や夏用のい草を編んだタイプのや、やたら上等そうな分厚い座布団や、他にも何種類もの座布団が十枚単位で箱に入っていた。祖父母宅を訪れるたび部屋の隅から座布団を出されたことを思い出した。親戚全員(と言っても十五人程度だが)が集まっても座布団は足りなくなることはなかった。季節でタイプが変わっていたのも確かだ。決して広くない家のどこに座布団があるのか、実のところ深く考えたこともなかった。ここに全部詰め込まれていたのだ。

そしてまたしても忘れそうだったが、祖母の籐椅子はここで見つかった。季節ものというカテゴリで誰かが片付けたと思われる。祖母の籐椅子を見つけることができてよかった。

その後、祖母と母と私で昼食に店屋物を取った。
届いた丼を食卓に運ぶため台所で準備していた時、私は母に件の台所の蔵を覗いてみていいかと訊いた。母は特段禁じることもなかった(当たり前か)。しかし、ここからなぜか突然記憶が曖昧になる。どれだけ思い出そうとしても、蔵の中の記憶が暗い入り口のままだ。広かったのか狭かったのか、明るかったのか暗かったのか、全く思い出せないのだ。

後日母に尋ねたところ、例の蔵はそもそも二階建てで、一階の広さは八畳ほどだと言う。中には荷物が大量にあったという話なので、あの時の私は足を踏み入れかねたのかもしれない。
もしかしてあの屋根裏が蔵の二階だったのかと思って訊いてみたが違った。二階建ての蔵の裏側が屋根裏なのだ。蔵を覆い隠すように家が建っているのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。ということは、台所から食卓に続く謎の廊下だけの空間は、蔵の奥行きとイコールだ。何てことだろう。不思議な間取りの謎が、パズルピースが次々嵌まるように解けていった。
では何故家の中に蔵があるかというと、火災に遭っても中の物が燃えないように、ということらしい。身を寄せ合うように建つ細長い家の中に、あえて蔵を作った昔の人々の思いが何とも健気に感じられた。

 

ハコへの郷愁

幽霊の正体見たり枯れ尾花、とは少し違うが、蓋を開けて見れば何のことはない、タネ明かしをすれば大したことない、そういう話はいくらでもあるだろう。
しかし私は屋根裏にしても蔵にしても、実際見たり詳しい話を聞いたりした時に全く落胆はしなかった。むしろ、子供の頃抱いていた好奇心を、数十年越しで思いがけず満足させることが出来た気がした。

祖父の収集癖に驚いたり、箱に次ぐ箱の登場に戸惑ったり、眩暈坂を登っているのかと*4訝しんだが、それもまた得難い非日常的な経験だったと言える。あと、空間があると埋めたくなるタイプの人間は、家が広ければ広いだけ物を溜め込むのだと痛感した。祖父はそのタイプだったが、翻って祖母は、祖父が亡くなるとその遺品をさっぱり処分してすっきりした顔をしていた。その祖母も、祖父が亡くなった翌年にこの世を去った。

私があの家に行くことは、もう滅多にないだろう。叔父夫婦の持ち物であるのだし、思い入れはあるが愛着はない。
ただ、私が幼い頃の記憶を辿る時、お祭りやお盆、正月に親戚と集まる高揚感と共に思い出すのは、川のそばにひしめくように建ち、大量の箱と共に異界の匂いを漂わせる、ひたすらに細長い、あの祖父母宅なのである。

 

*1:私の考えるそこそこの田舎…隣の家が歩いて秒の場所にあるが、電車は一時間に一,二本、車は大人一人につき一台必要

*2:しかし今考えると、あの家に普段六人で暮らしていてもいっぱいいっぱいだったであろうに、私たち姉妹をよく泊めてくれたものだと思う。

*3:幼い頃に聞いた足音は、大方ネズミやその他小動物だろう。

*4:魍魎の匣を含む百鬼夜行シリーズには、地形と周囲の建物などの位置関係で登ると眩暈を起こしやすい、その名も眩暈坂が登場する。シリーズ中屈指の巻き込まれ体質のキャラクター、関口はこの眩暈坂を登る時、平静を失いがち。