夜をフーダニットに救われる

Covid-19とかその他諸々で外の世界に目を向けるのがとても辛い時期が続いた。というか現在進行形で続いている。人の愚かしさには底がない。だが今はそれは一旦置いておこう。

この状況は去年の春からだから、一年以上が経つ。個人的にはその間に手術受けたり仕事がなくなったり書類選考は通ってもトライアルに落ちまくったりした。

生活に困窮することはないのでそこは良いが、精神的には最悪でもないが良くはない状態で、しかも今はそういう心持ちでいる人がどうやら私ひとりではなさそうだと感じる。ひとりじゃないと感じるのはプラスに転じる場合とマイナスに転じる場合があるが、私個人に限って言えば今のところマイナスである。

特に夜がいけない。夜は危険だ。寝転びながらスマホをいじるのは、まるで潜水艦の丸い窓から海中を眺めているみたいだ。広く深遠なネット世界の、よりによって暗い方に潜ろうとして溺れそうになる。

それでも何かしらの文字を読んでいないとどうにかなってしまいそうな気がして、溺れる私が掴んだのはアガサ・クリスティだった。

名探偵ポアロは、小学校くらいの頃NHKで放映されていたドラマが好きだったが、原作をきちんと読んだのは『ナイルに死す』くらいだった。

しかし、Kindleで発売されている一連のシリーズに一旦手を伸ばしたらもう止まらなかった。ポアロシリーズの終わりが見えてくるとミス・マープルシリーズにも手を出した。*1

そこから、フーダニットに夢中になった。

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読めるものは手あたり次第読み漁っているうちに、これらの小説のスタイルにはいくつかの種類があることに気付いた。個人的に最も読みやすいと思うのは、話の初めから探偵がいて事件を請け負うものだ。読む時の視点が固定され、感情も探偵のそれと同じなのでアップダウンが少ない。

被害者あるいは被害者の近くにいる者の視点、というのもある。このパターンも多く見られるけれど、読むたびに舞台と登場人物が変わり、新しい世界観がお膳立てされているのには毎回舌を巻く。性別、年齢、社会的地位によって世界はがらりと変わる。数えきれない人々の人生が築かれ、読者に紹介され、そしてそれらは誰かによって必ず壊される。いったい誰がやったのか?(Who done it?)

そしてバラバラに壊された人生を、探偵が構築しなおす。誰かの一生を締めくくった事件を、残酷とも言えるほどの冷静さで。

フーダニットではほぼ必ず人が死ぬのだが、それが私の精神をなぜこれほどまでに安定させるのかというと、壊された人生がどう再構築され、提示された「謎」がどう解かれていくのかということに没頭できるからだと思う。

私は、こういった探偵の役割を「憑き物落とし」と呼んでしまうのだが、それは偏に京極夏彦の『百鬼夜行シリーズ』*2の影響である。

姑獲鳥の夏』で初登場する「探偵役」は、正式には探偵ではない。というかこの作品の世界には「本物の探偵」*3が別にいる。ややこしいけど。
探偵役の京極堂こと中禅寺秋彦は、自分では探偵とは決して名乗らないし、彼の周囲も彼を探偵とは思っていない。何度も言うが「本物の探偵」がいるからだ。

本職は中野にある晴明神社宮司、副業は京極堂という名の古本屋だ。しかし色んな出来事がだんだんとこの京極堂のもとに集まり*4、絡みに絡みきった糸を見兼ねて「憑き物落とし」に乗り出す。ちなみに「憑き物落とし」は京極堂の第三の職業だ。

この京極堂の「憑き物落とし」のカタストロフィの快感がとんでもないのだ。決して大団円だったり四方丸く収まったりめでたしめでたしという話でもない、中には「こんなのありかよーーー」と走り出したくなる話すらあるのに、すべてが「落とさ」れた時の解放感は、間違いなくフーダニットを読む理由のひとつだと思う。

とにかく、こんなに込み入ったフーダニット(と呼んでいいものかどうかも迷うのだが)は読んだことがない。ページ数もとんでもなく、ファンの間では新書判は「レンガ」等*5と呼ばれ、分厚ければ分厚いほど嬉しくなる*6という特殊な性癖を生んだ。

フーダニットの「謎」は主に、「誰がやったのか?」だが、「〇〇はやっていないのではないか?」という逆説的な切り口の作品もある。

それがジョセフィン・テイの『時の娘』だ。

シェイクスピアの戯曲の主人公に据えられた悪名高きイングランド王、リチャード三世の「罪」を約五〇〇年も後になって療養中の刑事が半ば暇つぶしに再検証するという話なのだが、フーダニットの逆説的な観点でこれに勝る面白い作品を私は知らない。もし存在するなら読んでみたい。

読書をするのは、毎晩、夕食後に入浴するまでと、風呂上がりから寝るまでの間と決めている。この時間が一日で最もTwitterを深追いしやすく、余計なことを考えやすいからだ。頭の隙間に変なものが入り込む前に、事件の舞台の間取りだとか人間関係だとか、そういうものをぐいぐい詰め込んでおく。謎解きの段に入ったら少しの夜更かしも大目に見る。

そしてあくる夜にまた、新しいフーダニットに手を伸ばす。必然的にKindleに(仮想の)積ん読が増えていくが、それもまた致し方ないことだ。

 

 

 

これもフーダニット映画(推しが出ています)(Netflixこちら

 

 

 

*1:かの有名なシャーロック・ホームズシリーズは残念ながら全集を随分前に購入して読破していた。

*2:正式なシリーズ名ではなく、他に『京極堂シリーズ』とも呼ばれる。

*3:名を榎木津礼二郎と言います

*4:こう書くと京極堂は一種の安楽椅子探偵とも言えるかもしれないが、肝心要の部分では自分から情報を取りに行ったりするから、やっぱり違うのかもしれない。

*5:発売当初からこのシリーズを読んでいた私の父は、ティッシュ箱と呼んでいた。

*6:このシリーズの長編は第九作目の『邪魅の雫』まで出版されているが、ページ数で言うと倍くらいの巻数いってると思う。