toxic optimism(有害な楽観主義)に潰されない

【前置き】

この文章は、5月の半ばに書いたものだ。6月14日現在、非常事態宣言は解除され、自粛は終わりを告げた。しかし下書きに残っていた文章はほぼ完結していたし、なんせ日本は爆撃機に対し竹槍で挑もうとした国である、危機的状況においてこのような間違いを再び繰り返すと思うので、自分のためにも投稿しておくことにした。

----------------------

私は生来のネガティブ体質だ。しかしこのコロナ禍の世の中、このネガティブ体質も悪くはないと思う。

何故なら様々な媒体による闇雲なポジティブ喚起が、アホのようだからだ。

「みんなで力を合わせて頑張ろう」

「こんな時だからこそ前向きに」

「今こそおうち時間を有意義に使おう」

全く心に響かないのに、潤いだけを奪っていく。味がついてない麩菓子みたいだ。口の中の水分が秒で持ってかれる。

前回の記事にも書いたが、私は決して前向きな性格ではない。後ろ向きながらも、身体を前に傾ければ自然に足が出るように進もう、という思いで、「だが、今日ではない」と書いた。

しかし後ろ向きの人間を無理に前向きにしようとするのは、首を180度以上回すようなものだ。つまり怪我をする。

冒頭のフレーズを何回か聞くたびにMPが音を立てて下がる。寝る前にはもう真っ赤っかでK.O.寸前だ。

頑張る人はもう頑張っているだろうし、前向きでいたい人はもう前向きにやっているだろうし、時間を有意義に使いたい人はもう使っているだろう。

逆境を前に、俄然燃えてきたという人は大いに燃えれば良いが、それを広く呼びかけた時、その場で立ち尽くすしかない人の逃げ場を奪ってはいないか。

日本で緊急事態宣言が出される前、こんな記事を読んだ。

Stop Trying to Be Productive - The New York Timeswww.nytimes.com

タイトルからして「生産的であろうとするのをやめよう」である。

記事の内容を掻い摘むと、

「家にいる時間を有意義に使おうとしなくていい。無理に楽観的でいる必要はない。小さな気晴らしを積み重ねて行こう。」

「家にいたいからいるんじゃない、いなきゃいけない今この状況を乗り切ることで精いっぱいなのだから、部屋を徹底的に片付けようとか、長年やりたかった家のことを今こそやろうとか、しなくていい。」

などと書いてある。とても冷静で現実的で、実現可能な記事だ。

これを読んでいたにも関わらず今、サブリミナル的に繰り返される呪文に蝕まれているのだから、闇雲なポジティブは強い。

闇雲なポジティブや有意義さ(生産性)の喚起は、人を縛り、潰す力を持つ。

皆(顔の見えない誰か)が頑張ろうと言っているのに頑張れない自分、前向きな思考が出来ない自分、有意義に時間を使いたいのに動けない自分。

そこから芽生える自己嫌悪と孤独が、いとも簡単に人を潰す。

「今日1日何もせず日が暮れた」と言うと、大体がダメ人間を想像するだろう。しかしこの異常事態の中で、家にいることを求められ、そしてその通りにしている。

もうそれだけで充分ではないか。

夜寝る前に、「今日もよく家にずっといた、偉いな自分」と思って眠りに就きたい。