誰かが描いた地図を辿る

「気が付いたら財布の中、色んなボルダリングジムの会員カードでいっぱいなんだよね、わかるわかる、ワハハハ!」

ある日、どのジムにも必ず1人はいる、めちゃくちゃ声が通る常連の人がそう言った。
幸い話し相手は私ではなかったが、(わかる)と心中で頷いた。

最近コイツ、🧗‍♂️←この絵文字でやたら呟くじゃん、洋画沼の住人だったはずなのだが? とフォロワーさんに思われているだろうな、と自分で勝手に思いながら2年半が過ぎた。
とりも直さずボルダリングの話なのだが、ハマって2年以上経って、『何がそんなに楽しいのか』と言う自問の答えのひとつが、冒頭に書いた声の通る常連の人が言ったことにつながる。
つながるのだが、つなげるにはボルダリングジム特有の性質というか特徴というかがどんなものかを説明する必要がある。

ボルダリングジムには、課題のグレード分けがある*1。日本のボルダリングジムのグレードは基本的に、武道と同じで級→段。アメリカはV0〜、ヨーロッパは3〜らしい。
このグレード分けが、ジムによってめちゃくちゃファジーなのである。
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都内で登れる主なボルダリングジムのグレード表

何がファジーかと言うと、まず各級/段の色、そして難易度だ。多分初心者の人は混乱するし、初心者でなくとも初めて行ったジムでは混乱する。
色分けの違いは上の画像で確認していただきたいが、例えば黄色はあるジムで9〜10級(超初心者向け)を指すが、別のジムでは6級(初級者レベル)、また別のジムでは初段(上級レベル)だったりする。
さらに混乱する難易度について。例えば、あるジムでは私が登れるMAXは3級だが、他のジムでは5級だったり、あるいは1級を登れたりもする。

で、この差は何なのかというと、以下のブログ記事にわかりやすくまとめられている(検索したら良い記事が出て来たので丸投げする。主に前半)。

平たく言えば、登る人の得意不得意、セッター(課題を作る人)の癖、ジムの特色などの要因がある。この複合的な要因を、ボルダリングに馴染みがない人にどう言えば端的に伝えられるものだろうか。
とにかく、ある程度登れるようになってくると、日常的に通うジムではない、別のジムに行ってみたくなるのである。そして行って、登ってみて愕然とする。基本は同じはずなのだが、身体を動かす方向が違う。ホールドの種類が違う。いつもと違う動きを要求される。

ボルダリングの課題は、セッターが壁に配置したホールドの組み合わせである。セッターが想定したムーブ*2を辿れるか、あるいは想定されたムーブでなくとも自分なりに工夫してゴールに辿り着けるか。

言わば、他人が描いた地図を辿りながら目的地に到達できるか。これはそういうゲームだ。いつも親しんだ人(セッター)の描いた地図(課題)なら辿り方にもそれほど迷わない。しかしそれが初めて会う相手(セッター)なら?
初めての地図の上で、少し迷わされるのすら楽しくなってくるのだ。

それを体験したくて、少し長い休みがあるとジム巡りを始めてしまい*3、結果、財布の中にかつてない量の会員カードが並ぶことになる。
そしてそういう浮気性な客を逃さないように、ジム側も定期的に壁の課題を全取っ替えするので、今日も私たちはせっせと壁に登りに行くのである。
 

 

 

*1:グレード分けのないジムもあるが少数派。

*2:ボルダリング/クライミングでの登り方をムーブと呼ぶ。

*3:これを「遠征」と言う。奇しくもオタクの間で使われている用語と同じ。

140文字以上で考え直してみる

考えをまとめた上で長文を書くのは骨が折れる。
長文を書こうとするとどうしても格好をつけた文章になってしまう。

だから脊髄反射で文字を打てるTwitterは、心地が良かった。「寝落ちした」とか「お風呂入るのめんどくさい」とか、家族にも言えない、どうでもいいけど何となく吐き出したい、そんな諸々をネット空間に書けるのはTwitterしかなかった。
それにTwitterは、身の回りのあらゆる文字を読んでしまう文字中毒には夢のような場所だ。色んな人が、脈絡なく囀っている。読もうと思えばずっと読める。そして全部が140文字で終わるので、長文を読む気力や集中力がない時にはいい。
脊髄反射で文字を打てるのが気楽で、色んな人のツイートを読むのが楽しくて、タイムラインと自分の距離がゼロになっていた。

何かを観ればTwitterを開き、何かが気になればTwitterで検索し、ファボを押し、リツイートし、自分もツイートしていた。
その様子は、もののけ姫の終盤で、エボシ御前に首を飛ばされたシシ神がデイダラボッチの姿で己の首を探し出すのに似ているなと思っていた。デイダラボッチが、首を取り戻したいあまりに豊かな森の中に腕を広げ、手当たり次第命を奪うシーンだ。

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厳密にはこの場面ではないが、ジブリの公式サイトで「常識の範囲内で」使用可能な画像の中で首なしのデイダラボッチがこれだけだった

でも多分そろそろ、潮時だろうと思う。
と書いてから、恐ろしいほど自信のない文だと気付いた。「多分」「そろそろ」「だろう」「と思う」。

すごい、全然足抜けできる気がしない。
何せ、この10年ほどTwitterは生活の一部だった。大袈裟でなく、Twitterは私が見る世界の半分以上を占めていた。どれくらいかと言うと、同期間で現実で知り合った人よりフォロワーの人とオフラインで会った数の方が遥かに多い。そして海外旅行まで行った

Twitterは本当に画期的なツールだった。
過去形にしてしまったけど、Twitterという名前のサービスは既に存在しないので過去形でも問題はなさそうだ。それにしてもテレビとかで「Twitter(現X)」「X(旧Twitter)」と表記されているのを見ると、人は優れた頭脳や巨万の富と引き換えにネーミングセンスを奪われるのか…と日本の行政に対するのと同じ感想を抱く*1

話が逸れた。
私にとってTwitterは、大好きな洋画の情報を得られ、同好の士のツイートを読み漁れて、地球の裏側で起きていることをリアルタイムで知れる、世界へ通じる窓だった。顔を合わせなくても繋がれる、内弁慶な私には最高の場所だった。
趣味の話だけじゃなく、ひとりひとりの囀りは小さくとも、声を上げればタイムラインには仲間がいて、水面に小さな石を投げ込んだ波紋のようにTwitterに広がり、国の政治までも動かす。今まで声を上げられなかった人々の声が届く。すさまじい革命だったと思う。
今もそうなのだろうし、これからもそうであってほしい。

だけど少し、私は疲れた。疲れたので、距離を取る。少なくともゼロ距離でタイムラインに首を突っ込むのは極力控えたい。
アカウントは消さないので、距離を保てるかは謎だけど、タイムラインを見ないようにとiOSアプリを消してしまうと次にダウンロードし直す時にはXになってしまうので、アプリはそのままにしておく。Xになるのが嫌でアプリをアップデートしてない。

これからは140文字以内で話すことを積み上げて、今までよりは頻度を上げてここで140文字よりは長い文章を書けたらいいと思う。
読んでいただければ嬉しいが、川か滝のように流れるタイムラインに比べれば留まりにくい場所だと知っているので、それはそれで仕方ない。
あと私は、いい加減手からスマホを引き剥がしたい。スマホに唐辛子を塗るしかないのか。

 

 

 

*1:念のため言っておくと、バンド名のXには何の罪もない。SNSサービスの名前としてわかりにくくてまったくそぐわないと思うだけ。

『シン・仮面ライダー』原作ファンか庵野ファンか、それが問題だ【ネタバレ感想】

シン・ゴジラとシン・ウルトラマン、そしてシン・仮面ライダーと、庵野秀明(と樋口真嗣)の手に成る特撮ヒーローのシン・シリーズを完走した。*1

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『シン・仮面ライダー』公式サイト

今回のシン・仮面ライダーを観てはっきりと思ったのは、このシリーズは偏に、元ネタの理解度が観た時の面白さに比例するということだ。私の理解度がゴジラ仮面ライダーウルトラマンの順なので、シン3作品の楽しさもこれに比例していた。

この理解度=面白さの理由は、元ネタの膨大さ、つまり映画のみ(ゴジラ)か、長く続くTVシリーズウルトラマン仮面ライダー)を含むかによって盛り込みたい小ネタの量が増減するからではないだろうか。

そして庵野秀明は、膨大な小ネタを時々唐突とも言えるポイントで入れてくる人なのだ。

シン・ゴジラの時も、(そこは初見の人は流すだろうな…*2)というポイントに小ネタが挟まれていたが、ゴジラという作品がアメリカ製作含め30本ほどしかなく、しかも既に何度も焼き直しをされているキャラなので割とガラッと変えてしまっても特撮ファンは許容し、初見の観客には怪獣映画というよりディザスタームービーとしてウケたのだろう。

シン・ウルトラマンの時は、私がまるで元ネタに詳しくなかったため、全部上滑りになってしまった。ウルトラマンに詳しい身内でも、「あそこまで入れてくるか…」というマニアック振りだったようで、その面白さが理解できなかったのは残念だなと思う。

で、仮面ライダーについて私の理解度だが、
・テレビシリーズはクウガとカブトを完走
・1号〜ゼクロスまでのざっくりとした知識は数年前に読んだ仮面ライダーSPIRITS(マンガ)で履修
という程度。

そして以下は、私がシン・仮面ライダーを観ている間に自分の仮面ライダー履修度を試されて、辛うじて拾えたのではないかという部分。

・本郷猛がショッカーに改造されて仮面ライダーになるとか、一文字隼人の本職がフォトジャーナリストだとかは知ってる。が、縁川ルリコとか立花のおやっさんとかの記憶は朧げ。→竹之内豊が名乗った時にもポカーンだった。斎藤工が名乗った滝に至っては誰?レベル
仮面ライダー1号サイクロン号(バイク)に乗っている時の風(風圧?)でベルトの風車を回して変身する。→サイクロン号に乗りながらフワッと立ち上がって変身するシーンはカッコよかったな!
・敵とはいえ殺しまくることに対する葛藤を抱く本郷猛→テレビシリーズの1号は観たことがないけどクウガで苦悩するヒーローというテーマを扱ってたので馴染みがあった。
仮面ライダーはもともと1号も2号もいなくて、本郷猛を演じアクションも担当していた藤岡弘が撮影中に左足を骨折したために急遽2号を出した。→シン仮面ライダー劇中にも1号の左足が折れるシーンがある。
・伝統的に仮面ライダーの1番最初の敵はクモ男、次はコウモリ男と決まっている。→履修済みだ!!
・ケイという名前のロボット→家人曰く「あれキカイダーのオマージュじゃないか」私「あーキカイダー!…何だっけ」

観客のことを信じている、と言えば多分そうなんだろう。
ただ、完全初見の観客を想定すると、肝心の本郷猛の人となりや、ショッカーに改造されるくだりは初めから丁寧に描いた方が良かったのでは、と思う。仮面ライダーSPIRITSで読んだはずの私も少し忘れており、やや置いてけぼり感があった。
映画を観ていて、置いてけぼりになるのは割とよくあるのだが、置いてけぼりなりにも勢いに乗って楽しめるものと、振り落とされるものに分かれる。
しかし庵野秀明は、その勢いを殺しがちな方のクリエイターだと思うので、それでもついてきて欲しければ多少の譲歩はして欲しかったところである。

改造直後の本郷猛が戦う時の泥臭さやバイクチェイスシーンのスピード感、キャラによる殺陣の違いなどは観ていてとても楽しかった。
恐らくこれは、数回通って噛み締めながら観ると余計面白い映画なのではないかと思う。そう思わせる「惜しさ」がある。

 

 

*1:シン・エヴァンゲリオンに関しては過去作をほとんど観ていないのでノータッチ。

*2:シン・ゴジラ冒頭でゴジラの存在を示唆しつつ(恐らく)自死した牧という名前の科学者がいたが、あれは東宝1984年公開『ゴジラ』の主役の名前である。

RRR【ネタバレ感想・追加あり】

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映画『RRR アールアールアール』|絶賛上映中!

以下すべてネタバレです。(ふせったーからの転載)

 

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鏡を見たら哀しき怪獣がいた

自分の肩幅が人より広いらしいと知ったのは、中学校に入る前に制服を作るため採寸を受けた会場でだった。
「立派な肩だね」と、私を採寸したスタッフ(たぶん女性だった)に言われた記憶がある。特に嫌味や揶揄的な言い方ではなく、肩が立派なんだな、と言葉通りの意味として受け止めた。その認識は今も昔も変わっていない。

確かにランドセルやバックパックが肩を滑り落ちた記憶はないし、トートバッグすら一旦掛けたらなかなかずり落ちない。便利なオプション機能くらいの感じだった。

前もって言っておくと、スポーツなどをして肩幅が発達したわけではない。恐らく生まれつきの骨格だ。

成人してから肩を痛めて整形外科でレントゲンを撮った時、医師に「肩は問題ない。立派な骨です」と言われた。これはもう、名実ともにガッチリいかり肩だということだろう。

それから幾星霜。
その肩幅がさらに広くなろうとしている。

肩幅が広くなるスポーツとして、私が認識していたのは水泳くらいだった。しかしどうやら、ボルダリングもだったようだ*1

ボルダリングが肩と背中の筋肉をめちゃくちゃ使うスポーツだということはわかる。世界トップクラスの選手の肩や背中はそりゃもうバッキバキである。

そんな筋肉が週数回登っているだけの私にまで適用されるとは思わなかった。いや、正確に言えば、もちろんトップ選手のバッキバキな筋肉からは程遠い。しかし私には生来、骨まで立派な肩というポテンシャルがあったのだ。
去年の夏、肩がパツパツになり、手持ちのTシャツが半分ほど強制的に断捨離と相成った(寄付した)。この冬、着られるセーターは全体の半分しかなくなった。

そんなある日、風呂上がりにふと自分の姿を鏡で見て強烈な既視感に襲われた。

ウルトラ怪獣シリーズEX ジャミラ

ジャミラがそこにいた。
ジャミラだ…

ジャミラだな…と思って、ウルトラ怪獣に全く明るくないので初めてきちんとプロフィール読んだら、ジャミラは可哀想な怪獣だった。

円谷プロの説明は割とドライだが、Wikipediaの方を読んだら泣くかと思った。

ja.wikipedia.org

お前…『オデッセイ』のマット・デイモンが闇堕ちしたみたいなキャラだったのか…

オデッセイ(字幕版)

オデッセイ(字幕版)

  • マット・デイモン
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先週ボルダリングに行ったら、両肩の三角筋が筋肉痛になったので、私の肩にはまだ鍛える余地があるということになる。

となれば、この先もしばらくは、何気なく鏡を見ればジャミラがそこにいるだろう。

ボルダリングは楽しいし、ジャミラのままでも別に構わないが、3年前に奮発して買ったダウンコートだけはパツパツにならないでくれと願うばかりだ。

 

*1:ボルダリングにハマって書いた記事諸々↓


『RRR』現代に蘇る英雄譚、その神話の魅力と威力【ネタバレなし感想】

子供の頃から神話が好きだった。
物心付く頃には古代エジプト神話に夢中だった。獣頭人身の神々。古代ギリシャ神話も好きだ。人のように奔放で、人には及ばぬ力を振るう神々。北欧神話も、ケルト神話も、多神教の神話なら何でもひと通り齧ってきた。
大学で史学科に入って、世界各地の歴史の概要的な講義をひと通り受けたあと、やはり多神教が信仰されていたメソアメリカ文明を専攻した。
自分の神話好きについて、深く考えたことはなかったのだが、理由のひとつがわかったかもしれない。

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RRRを観た。

バーフバリ二部作のS.S.ラージャマウリ監督の新作で、面白くないわけがなかろうしTwitterのタイムラインの評判も頗る良かったが、3時間という長丁場に尻込みしていた。
そんな私の尻を叩いたのは、RRRの劇中で歌われた『ナートゥ・ナートゥ』がゴールデングローブ賞を獲ったからである。何だかゴールデングローブ賞に釣られた感じで情けない。アメリカよりインドの方が距離的に近いのに。
ともあれ、まだIMAXで観られる映画館があって心底良かったと思った。

結果、とんでもなく面白い映画だった。「ここがクライマックスだろう」と思ったポイントが3つくらいあった。ゴールデングローブ賞を獲った『ナートゥ・ナートゥ』のシーンは劇中かなり早めに繰り広げられ、1つめのクライマックスですらなかった。大盤振る舞い過ぎる。

バーフバリが、過去のいつか、どこかの国の英雄譚だったのに対し、RRRの舞台は20世紀初頭のイギリス統治下のインド。ストーリーも骨子は支配者・被支配者の間で繰り広げられる。

主役2人の名前はそれぞれ、コムラム・ビームとA・ラーマ・ラージュと言うが、これはインドの実在の革命家から取られている。いずれも20世紀初頭に活動し、若くして命を散らしたが、この2人が実際に顔を合わせたことはなかったという。
上記のことは後でパンフレットを読んで知ったのだが、それらの知識を持たない私が映画を観てもわかったのは、2人のうち、ラーマの名前がインドの叙事詩に由来することだった。

劇中、ラーマの恋人の名前がシータであると聞いたビームが、眩しそうな顔をして「ラーマとシータ」と繰り返すシーンがある。それを見た時には、あの叙事詩の話なのだなと思ったが、それほど気には留めなかった。

しかし、S.S.ラージャマウリ監督はその伏線をとんでもないところで回収しに来る。
あるシーンでラーマが登場した時、この映画は英雄譚なのだ、古代の英雄が現代に蘇り民を救う伝説なのだ、ということを観客の肩を掴んで揺さぶって、これでもかとわからせに来たと思った。
私はそのシーンを見た時、『天空の城ラピュタ』でラピュタの破壊力を将軍に見せつけたムスカの台詞を思い出していた。

旧約聖書にある、ソドムとゴモラを滅ぼした、天の火だよ。ラーマーヤーナでは、インドラの矢とも伝えているがね」

──『天空の城ラピュタ』より

ラーマーヤナ(ラーマーヤーナ)はインドの二大叙事詩のうちのひとつであり、ラーマ王子はその叙事詩に語られる英雄である。ヴィシュヌ神の化身とも言われ、インドラの矢とは彼が放つ矢のことだとも言われる。そしてラーマ王子の妻はシータと言う*1

ラーマの名前は、革命家に由来しながら、それ以前にインドに古くからある叙事詩の英雄に由来する。
そしてビーム(ビーマ)の名前もまた、インドの二大叙事詩のもうひとつ、マハーバーラタに登場する英雄の名前なのである。

RRRを英雄譚や神話と同列で語るのは、危険だとは思う。ファンタジーと現実を混同するのも危険だろう。
しかしこの映画は、現実の世界を描きながらも神話を土台にして革命とインドという国の連帯を語り直そうとしているのだと私は思った。

人は、いつ消えてもおかしくなかった神話を、英雄譚を、何十世代分もの年月を語り継いできた。
そしてその彩り豊かな物語と、そこに語られる英雄の名は、宗主国に駆逐され植民地となった土地に暮らす人々に、何千年も後になってなお勇気を与えるのだ。

もちろん、これには危険性が孕むこともわかっている。太古の神話や伝説を利用し、戦争に突入した過去が日本にもあるからだ。

しかしRRRという映画を観て、冒頭に書いた、私が神話を好きな理由のひとつはこれだと思った。
たとえ忘れ去られていたとしても、或いは見て見ぬ振りをされていたとしても、過去の人々が決して忘れなかった物語が今も残っていて、ふとした拍子に鮮やかに蘇る。
神が、英雄が、栄えて戦い滅んだ物語は、歴史とも神話とも伝説とも呼ばれ、口から口へと伝わり、色褪せたはずの土地に今も宿り、人の心を支える。
その力に震えるほど心を揺さぶられるのだ。
そして人はその力を、善いことに使える。そう信じたい。

 

P.S.
RRRテルグ語バージョンのサウンドトラックを買わせて下さい(2023年2月現在、日本国内で未発売)。

 

 

*1:そう言えば『天空の城ラピュタ』の主役の女の子はシータだった。宮崎駿ラピュタの構想の元にしたのはスウィフトのガリバー旅行記だろうが、男の子が捕らわれた女の子を救いに行くというストーリーラインを考えるに、恐らくラーマーヤナも念頭にあったのではないか。

ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー【ネタバレ感想】

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ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー|映画/ブルーレイ・DVD・デジタル配信|マーベル公式

以下すべてネタバレです。(ふせったーからの転載)

 

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