旅への郷愁(ノスタルジー)

たぶんどこかで吐き出さないと潰れるだろう、というギリギリまで来ている気がする。

1日のあいだでも「まだいける」「もうダメだ」「いやまだまだ」「マジ無理」と波が激しい。

海外に行けない。

たったこれだけのことが、こんなに私の精神を削るとは思わなかった。現に、留学から帰国した2007年から6年ほどは海外に目も向けなかった。

6年は決して短い期間ではないと思う。

それが、日本に閉じ込められて僅か2年弱で私は、本当に落ち込んでいる。

海外旅行に馴染みのない人には、渡航できないということは恐らく多少の不便は感じるけれども代替的な娯楽を国内で取り入れる、という取り組みも有効だろう。

でも私は、それが出来ないようなのである。テレビで海外の映像を観るのもつらくなってきた。

世界中の美術館や博物館がバーチャルでの鑑賞を可能にするためオンライン公開に踏み切ったり、YouTubeなどで海外の舞台を配信することも多いが、今のところ私が観れたのはブロードウェイ版のジーザスクライストスーパースターだけである。

ルーブル美術館だって今なら見放題なのに。

www.cnn.co.jp

旅の思い出を積極的に振り返るなど以ての外だ。過去の自分がどれほど恵まれていたか、という事実が、今降りかかる現実の厳しさを際立たせてしまう。

ノスタルジー(nostalgia)という言葉は郷愁やホームシックと訳されるが、私が今抱く思いは言わば旅へのノスタルジーだ。

 

往路の空港に着いた時の高揚感と微かな心細さ、目的地に着いて税関を過ぎた後に腹の中で小さく芽生える覚悟、全てに解読が必要な世界。

復路の空港で感じる充実感とそこはかとない寂しさ、帰国して日本国籍保持者専用のゲートをくぐった時の安心感と日常に戻ることへの少しの絶望。

 

その全てが、私にとって生きている喜びなのだと、今さら身に沁みている。(精いっぱい過去形にしない努力をしている)

ぶっちゃけもう、「だが、今日ではない」とか言えなくなってきた。

指輪を捨てる旅だってガンダルフホビット庄に着いてから滅びの山で指輪が破壊されるまで1年経っていないのである。指輪戦争の終結まで延ばしたって1年半だ。

arda.saloon.jp

正直しんどい。